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家計と経済”ななめ読み”

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たまには、今、自分が生きる社会を違った角度から見てみる。別の言い方で言うと、今の社会の「あたりまえ」を疑ってみる。そうすると、面白いことに気づく時があります。同時に「なぜ?」という疑問がふつふつと湧いてくる(笑)そんな経験ありませんか?

最近おもしろい寓話に出会って考えさせられました。貨幣経済、資本経済と家計や人生のゆたかさの本質についてです。常々、お金としあわせ、お金と人生の充実についてはよく考えます。お金は人生の充実度を上げてくれる大切な道具の一つだと思います。だからこそ使い方によってどんな影響があるかを知っておきたいと思うのです。

2024年1月から、新NISAがスタート、物価上昇という環境変化もあって、資産運用、新NISA活用についての質問や相談も増えています。SNS、テレビや新聞、知人との会話で聞く機会が増えるほど自分だけ取り残されている、ちょっとした焦りも感じて、資産運用を始める人も多いように感じます。私はなんでも経験だと思っているので、NISA口座を開設して、少額から資産運用を経験することは賛成です。知識や経験を増やしながら、それをよりよく生きるための「知恵」にしたいと私は思っています。

利子、利息ってなに?

  • 「お金を貸すと、利息を受け取ります。」
  • 「お金を借りると、利子をつけて返す」

そんなの当り前のことだよね!と私も思います。今回は、「利子」についてななめ読みしたときに、それは本当にあたり前か?と考えてみたいと思います。かつてウオーカー・パーシーがこのように述べていました。「魚は水の本質について考えたりしない。水がない状態を想像することができないので、その存在について熟考することもできないのである。」

我々も今の生活や将来設計のために、資産運用を活用します。「利子が付く」ことを当たり前の前提として、その前提を疑ったり、考えることがないように思います。

お金には交換ができること、その価値を保存できること、さらに物の価値を測れるなどの役割があります。物を交換するためには、その交換比率を決める必要があります。米と魚といったように2種類の物の交換取引であれば、価格はひとつで済むのですが、経済活動が発展し交易の範囲が広がれば広がるほど交換する物が多くなっていきます。このため取引を簡単にさせるための価値の基準として登場したのがお金です。

たいへん便利なお金ですが、物との交換取引だけでなく、経済の発展に伴って、お金そのものを貸し借りする必要性が出てきました。このお金を貸し借りする際に、お金の価値を図るものとして使われたのが利子・利息です。

貸し借りするお金に対して、利子がいくらになるか、つまり利率は経済状況と国の財政政策、金融政策に影響を受けながら時代と共に変わります。利子が付くということはどういうことを意味しているのでしょうか?利子について”ななめ読み”でその本質を考えてみるのも面白いですね。「11番目のコイン」という寓話を紹介します。長文になりますので気楽に読んでみてください(^^)

寓話「11番目のコイン」

昔々、アウ卜バックという小さな村では人々は物々交換をして暮らしていた。市場で人々はニワトリ、卵、ハム、パンなどの間を往来し、欲しいものを見つけては壳手と長い交渉をしていた。また、刈り入れ時や誰かの納屋が嵐で被害を受けた時には、昔からの習慣でお互いに助け合ってきた。誰かが助けを必要としていたら、他の者が助けるのが当然だと、皆思っていた。

ある日、黑光りした靴に豪華な帽子をかぶった見なれない男が村にやって来て 冷ややかな笑みを浮かべ、市場の様子を親察していた。ある農民が大きなハ厶と交換するために六羽のニワトリを捕まえようとして追いかけているのを見て、その男は笑いを抑えることができなかった。

「かわいそうな者たち。あまりにも原始的だ」

その農民の妻がそれを閒きつけ、「じゃあ、あんたはどうやってあのニワ卜リたちを上手く捕まえられるか、知っているのかい?」と憒慨しながら尋ねた。

その男は、「ニワトリを? もちろん無理だけど、そんなことより、これらすべての問題を解決する方法を知っている。

「ほう、どうやってさ」農民の妻が聞いた。

「あそこの木の所で待っているから、誰かが牛の皮を持ってきて、村中の人と一緒に来てくれ。そうしたらいい方法を教えよう」

皆が集まり、男は牛皮を切ってたくさんの円形の皮を作リ、そしてそれぞれに念入リに烙印を押した。その後、各家族に10の皮コインを渡し、1つのコインが1羽のニワトリの価値に相当することを教えた。

「これであなたたちはいちいちニワトリを追いかける必要がなくなるだろう」と男は言った。

皆は「確かにそれはいいぞ」と思い、その輝く靴を履き帽子をかぶった男に感銘を受けた。

「ところで」とその男は統け、「来年の今ごろ、私はまたこの同じ木の下に戾って来る。そのときに皆さんは私に、それぞれ11のコインを渡して欲しい。私のおかげであなた方の暮らしが良くなるのだから、そのお礼だと思って欲しい」

これに対して、例の「六羽のニワトリ」の農民は聞いた。「どこから11番目のコインが出てくるんだい?」

すると男は「いずれわかる」と、力強い笑みを浮かべた。

寓話「11番目のコイン」が意味するもの

その村の人口と年間の生産力が、その後一年間同じだったとすると、その一年間でその村はどう変化したと思いますか?ポイントは男は11番目のコインを作らなかったことです。それが意味するのは、村に11の家族があれば、一つの家族は全てのコインを失うことになるということです。

嵐が来てある農家の畑が危険になったが、村人は昔と同じように助けるでしょうか?そのような寛大さはなくなりました。そのコインは市場では便利でしたが、それまで村で協力、助け合いの精神を失わせ、村人に制度的な競争意識を生み出しました。

この寓話が意味するのは、おカネが創られる過程で11番目のコイン、つまり利子・利息が人々に与える影響を教えています。利子を埋め込んだ金融が社会や人の人生に無意識の中でどう影響を及ぼしているかを示しています。

寓話の村では成長率をゼロとしています。実際の社会では、利息の支払いのために成長が「強制」されているのではないでしょうか?

登場人物の「男」は最初、村の住人にそれぞれ10枚の皮コインを渡します。彼自身はこの皮コインを所有していません。村人は「男」に命じられるがまま-牛の皮を持参し、皮製のおカネを作っています。このお金は村人の資産である牛と、村人自身の労働で生産されたものです。

「男」が行なつたことといえば、お金の導入を勧め、村人に持参させた牛皮を切り取ったことだけで、自分はお金の仕組みに参加する当事者でありながら、その運営に必要な元手である皮コインは一切提供していません。さら村にお金が導入されてから、11番目の皮コインが作られていません。村人は「男」からもらった10枚の皮コインを、一年後には11枚に増やして「男」に渡さなければなりません。この11番目のコインは、「男」が用意してくれるわけではないからです。

村人が牛皮を円形に切り取って「男」のところに持って行き、コインとして認めてくれとお願いしても、彼は決してそれに応じないでしょう。なぜなら、それに烙印を押して正式なお金として認めてしまえば、彼が導入させたお金の仕組みが思い通りに機能しなくなるからです。つまり、村人に気づかれないまま搾取し続けるせっかくの目論見が台無しになってしまうからです。

こうなると、村人はどこかから11番目のコインを探し出して獲得しなければならない。答えはただ一つ。同じ村に住む他の村人なのです。

社会の常識”ななめ読み”

世の中には、たくさんの当り前と言われる常識があります。それを”ななめ読み”すると意外な本質が見えてくることがあります。小学生のように「なぜ?」と疑ってみることでおもしろく意外な発見があったりします。

今回紹介した11番目のコインという寓話でも、村人は”その男”が提案するルールにのるという選択もできるし、のらない選択もできます。一度のってみて、やめるという選択もできます。自分自身の今と将来のゆたかさや人生の充実に、仕組みやルールを取り入れることがメリットがあるのか?自分だけではなく、みんなにとって、社会にとってメリットがあるのか?一度立ち止まって”ななめ読み”で考えることも面白いと思います。

マネーバランスドクターとして、お客様ご自身が思い描くゆたかさや人生の充実度をあげるために、そんな気づき得る機会もご提供できればなあと考えています。

 

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