季節はもう秋ですね。読書にはよい季節です。みなさん最近はどんな本を読みましたか?
最近私がよく読んでいるのは、歴史の本です。歴史の中でも近世から近代、つまり江戸時代から明治時代にかけての時代がとても面白くてハマっています(笑)
歴史の本(学校で学ぶ教科書も含め)というのは、残された資料をベースにした歴史家の解釈だったり、時の為政者に都合よく解釈されたものだと思っています。歴史上の一つの出来事を時を追ってどう解釈していくか、それぞれの歴史家の思考をたどる意味でも歴史書というのは面白いです。
歴史の中で特に江戸時代というのはとても面白く、興味深い時代です。いわゆる日本の伝統文化を言われるものの多くは江戸時代に完成されていますし、実質的に300年続いた平和な時代を継続可能にした価値観や、それに基づいた高度な仕組みは現代の我々も学ぶべき点は多いと思います。
司馬遼太郎氏はこう言っています。「われわれが持続してきた文化というのは弥生時代に出発して室町で開花し、江戸期で固定して、明治後、崩壊をつづけ、昭和40年前後にほぼほろびた。(「街道をゆく 南伊予・西土佐のみち」朝日新聞社)
私は日本人ですが、日本の伝統文化やそれらを確立してきた日本人としての価値観は失っているのかもしれません・・・ならば少しでも学べばいい!自然環境の変化や災害の多さは肌身で感じることも多くなています。SDGsなど持続可能な社会を実現していくには、実現していた江戸時代という日本の過去の歴史にその価値観や仕組みに学んで生活に取り入れることは有意義だと思うのです。
江戸時代の仕組みの一例
- 森林破壊の停止、保護
- 農地改良による生産性の向上
- 資源保護の努力
- 健康の増進(母乳保育の推進など)
江戸社会は当初の人口が1500万人で、200年の間に3000万人に人口は増加しています。急激な人口増加にも関わらず、自然環境と国土の5分の1の耕作地を維持しながら食料自給を実現していたようです。
- 人糞利用の循環システム
都市と均衡農村との間で回収と利用という循環システムが完成し商売として成り立っていたようです。糞尿が商品として取引されていました。百姓は野菜を農村から都市へ運び販売します。都市に住む人は糞尿の生産者として、野菜の肥料として糞尿を百姓に販売します。都市に住む人もの農村で住む百姓も、消費者であり生産者でありそこに無駄のない循環システムが成立していたのです。
同時代のパリの街はトイレがなく、おまるにした後、窓から道路に捨てていたといいます。ベルサイユ宮殿の庭園も排便、放尿の場で、町中がトイレ状態だったといいますから、江戸社会の無駄がなく、公衆衛生上のレベルも高い美しい街並みを維持していたことは世界から見れば驚きだったと思います。
- 江戸の自然災害と公儀の対応
江戸時代は、飢饉、火山の噴火、津波、火災、大風、洪水など・・・歴史の災害年表を見るだけでも毎日、日本のどこかで何かが起こっていたといっても言い過ぎではないかもしれません。犠牲者の数からしても相当な数だったようです。当時としては世界的にみても高度に確立された物流システムによって、食料の供給が行われ、公儀といわれる税制の優遇や補助などの仕組みも昨日していたようです。
現代社会では、自然と「共生」するという言い方もされますが、自然と人間を対等の並びで考える価値観ではなく、人は自然の一部であるという価値観、樽を知るという価値観が江戸社会には根付いていたようです。
持続可能な生活
江戸時代とくらべると、現代社会は、物も豊富で移動手段も早い、通信システムも整い、流通システムも高度です。今江戸時代の生活をまねることは難しいですが、価値観など生活の在り方としての本質は見習うべき点が多いように思います。持続可能な生活のポイントはバランスではないでしょうか?物質的な意味ではなく、生活としての「ゆたかさ」という意味では、江戸時代の方がゆたかであったかもしれません。
明治から西欧化の方向で突き進んではきましたが、冒頭の司馬遼太郎さんの言葉のとおり日本の風土にあわせて洗練、熟成されてきた日本社会、文化は失われてきたかもしれません。「ゆたかに」持続可能な生活をしていく上で先人から少しでも学んでいくことが今できることではないかと考えながらこれからも歴史の本を読んでいきたいと思います。